Traveling Diary -mountain bike-

2007年12月19日上海にて

どうもこんにちは
大阪からフェリーで2日で上海、上海は結構近い。
今日で上海は3日目です。上海は意外にも寒くて空気が悪いせいか常にどんよりとした天気なので残念でした。

しかし値段の割りには飯がうまい。一食100円もあれば結構満足。
千葉の実家から大阪まで気合入れてマウンテンバイクで来たものの、上海の気候に志気が萎えてこれから列車で香港へ向かおうとおもいます。
果たして列車に自転車は本当の乗せる事ができるのか!?
不安は募ります。

最終的にはオーストラリアへ向かう予定です。
無事にオーストラリアに到着したら誰か向こうで遊びましょう。
よろしく!!

つづいて
2008年1月17日ベトナム(ハノイにて)

いやー香港からハノイまでマウンテンバイクで来てしまいました。
はっきりいってアホですわ。

初チャリ旅でアクシデント満載です。
パンクはするわ、ギアの調子は悪いは。体調崩すわ色々あります。
正直マウンテンバイクをなめてました。これはマシーンだったのです。故障しては気合だけでは進めないのです。

中国は飯は美味いし宿は安い、安宿を探すのも住宿と看板が出てるのでわかりやすい。
ほぼ9割がた英語不可なので紙に漢字をかいて後はジェスチャーでなんとかなります。

チャリではガイドブックに載ってないようなとこも通るので地元の人との交流も増えます。現地の友達ができる機会も多い。
ミニギターを積んでいるので泊めてもらったり、飯をご馳走してもらったかわりに歌ったりなど。

それと中国は普通に犬を食うみたいで露店でまるまる一匹調理済みの犬がいたのはショッキングでした。

しかし無事に中国からベトナムの国境を越えれたんで幸いです。ビザはもってたんだけど。
そうとう汚れな服装だったんでとめられるかと、ひやひやでした。国境と言っても川一本挟んでるだけで、これなら密入国も可能ではと思える感じでした。

ベトナムは中国の物価に慣れてしまうと非常に高く感じてしまう。
中国のマイナーな街ならば、おそらくインドと同等ぐらいの宿泊料だ一泊150円。ベトナムは一泊だいたい750円、日本に比べれば全然安いが、高く感じる。こっちの通貨ベトナムドンだと10万ドンだし。

こっちで知り合ったベトナム人の友人に言われたので衝撃的だったのが、彼の一ヶ月の家賃食費、光熱費 全て含めて100ドルとのことだ。
彼は自らベトナムは貧しい国だと言う。俺のマウンテンバイクの費用が彼らの約8ヶ月分の生活費だと思うと考えさせられるものがあった。
しかし彼には奥さんもいて赤ちゃんもいて一軒屋に住んでおり貧しさの微塵も俺には見せなかったのだ。さらに日本人の俺に夕飯とビールをおごる懐の深さと気持ちの余裕をもっている。本当は俺がおごるべきなのだが彼は受け取らない。なんともいかした男なのだ。

今回チャリンコで旅していて、日本の国力を感じずにはいられないのだ。日本にいた時はきずかなかったが、日本はまじですごい国だ。きっとみんな日本人は金があると思っているに違いない。リッチカントリーだ。円はドルの次ぐらいに強いのでは?
そして俺はよく日焼けのせいかタイ人に間違われる。

昨日と今日はハノイの自転車屋の親父に自転車をパワーアップしてもらいスパイクタイヤにしてもらいました。これならパンクしずらいはず、お次はラオスなので地図的に山道っぽいので。

ハノイからラオスの首都ビエンチャンまでおそらく20日間はかかりそうです。 いや~ハノイからここタイとの国境付近のパクサまで12日間かかりました。
多分1000キロぐらい移動したのでは、当初付いていたスピードメーター計は早くも破損です。
もうこっちは毎日が真夏日で日に焼けまくってます!

ベトナムではあれから色々あり、村でしり会ったイェンさんの家に泊めさせていただいて旅行者がめずらしいのか村人が20人近く集まって、尋問を受けたりギターを弾いたり、まるで捕獲された宇宙人のような気分を味わいました。

はたまた国道沿いの原っぱで休憩中、ねっころがって、隙だらけの時二人組みのジャンキーに絡まれたりと良かったこと悪かったことと、多々ありましたが、どれも濃い思い出ですね~。彼はシンナーの吸いすぎか歯がボロボロでしたよ。

ベトナムからラオスに入り一変しました。まず気候がぜんぜん違う。山間部だから寒いと思ったら大間違い。暑い、暑すぎる。
ハノイでは朝晩はダウンジャケットを着ていたのに、今はTシャツ短パン。
後ベトナムだとチャリで走っていると「ハロー、ハロー」の嵐だったが、(1日に200回近く言われる)時になぜかハイタッチ。がラオスだと「サワディー、サワディー」に変わる。ちなみにこんにちわの意味。(1日100回程度いわれる)
後異国者だとベトナムではぼられる事が多いが、ラオスでは少ない。

つづいて
2008年1月30日(ラオスのパクセにて)

ここはジャマイカかってつっこみたくなるような陽気だ。

この暑さと陽気が人々を伸びたうどんにしてしまい、山村部の人々は何するわけでもなくダラダラしているのが目につく。しいて言うならお茶をしているのか?と思う。平日の昼間からだ。

水牛や牛はのんびりと歩き、たまに、いのししっぽい豚や、ヤギが道路を行き交う。
そんな場所だから、ラオスでは野宿をしたくなり自前のテントをここぞとばかりに人目のつかぬ場所を探し張ってみる。
19時にはもう日が落ち真っ暗だ。それと同時に満天の星空になる。
夜中は犬の遠吠えがかなり怖い。
朝方6時半頃日が昇り朝日が空を赤く染めるそんな場所だ。

飯は何を食ってもうまいチャリンコ中はめっちゃ腹が減っているので、よっぽどの者がでない限りうまい。
たいてい食堂で生野菜(もやし、インゲンのでかいの、なんかの葉っぱ)
にラーメンの麺が米でできているやつに鶏肉がのっていうのが定番だ。
それでだいたい120円ぐらいか。
宿は物にもよるが、500~600円ぐらいが相場か。
ベトナムより全体的に多少安いという感じである。

次はタイ。
おそらくバンコクまでも1000キロぐらいか、のんびり行こうと思います。
それではみなさん次はタイで!

つづいて2008年

1月31日(ラオスのパクセにて)
今回のチャリ旅でようやくパーティーがふえました。
いっきに5人に。
まるでドラクエのようです。
彼らはみんなアメリカから、きっと陽気な旅になるでしょう
今まで去年の12月に家を出発してほとんどずっと1人でチャリこいでたんで心からうれしい限り。
これで当分のあいだ1人でテントを張ることもなくなるだろうきっと。

そして進路をタイからカンボジアに変更で、1人では行く気にはなれなかったが、5人いれば割と安全だと願いたい今日この頃。

つづいて

2008年2月11日(カンボジア、カラチェにて)
ジム(賢者)ピーター(魔法使い)アンドリュウ(勇者)ニキア(踊り子)そして僕(遊び人)で前の町から2泊3日のキャンプ生活しながら来た。

夜はそこら辺から枯れ木を集め自炊する。
米と豆のコラボレーションだ〔笑〕。
そして日本から持参したテントで野営する。
この前は夜中の1時頃ニキアが熊の遠吠えを聞いたらしく、緊急ミーティング、結局火を灯してその回りで夜を明かした。

翌日はカンボジアの学校を飛び込みで訪れた。
学校といっても1クラスだけで、15人ぐらいだ。

ジム(ジャンベ)ピーター(中国の弦楽器)アンドリュウ(ギター)そして僕が弾きながらニキアと共に「上を向いて歩こう」を歌った。
間奏と終わりに拍手をもらいなかなか良いリアクションだ。
言葉は通じずとも伝わるものがあった。
みなとても良い顔をしていた!

仲間ができた事で旅がさらに豊かになった。

ちなみに僕が参加している自転車チームにブログがあるので興味のある人はぜひ見てみてちょ~だい

www.fueledbyrice.org

つづいて2008年3月20日(タイの南クブリにて)

いや~相変わらずチャリンコ漕いでおります。

ピーター、アンドリュウ、ジム、ついに彼らとバンコクでわかれ再び1人で。
彼らと別れ1人で張るテントはなんだか寂しかったり、寂しくなかったり。

しかしこの前1人で道の脇の木と木の間の茂みにテントを張っていたところ、地元の方に通報されたらしく、20時頃パトカーが来て4人の警察官に警察所に連行されたのには、驚きましたよ。
もう日が暮れて真っ暗だったし。

それだから最近は仏教寺院を訪れテントを張らせて頂いてます。
山の中腹に宿泊施設がないんで。
何だか去年の四国お遍路を思い出しますね。

とりわけタイのお坊さんはとても親切です。

つづいて2008年4月1日(クアラルンプールにて)

ようやくここクアラルンプールに到着です。
今はこっちは雨季で一時的に日本でいう台風が2~3時間ぐらいの割合で1日に2回ぐらい起こっております。
そういうわけで雨と風に不敗しバスを利用して来ました。

うーむやはりバスは便利で速いなんてったって音楽を聴いてたり、寝てても着くんだからすばらしい。

マレーシアに入国し仏教的なのりからイスラム的なノリに変わりました。いたるところにモスクはあるし。

そういえば親切なマレーシアのおっさんに出会い、夕飯をご馳走してもらい、「泊まるとこがないなら友達の所に泊めてやる」と言われついていった所、まさか工事現場の休憩所に連れて行かされるとは誰が想像できることやら。まぁ結果的に屋根があったんで非常に助かったんだけどね。夜中スコールが降ったんで。

昨日はカンパーという町から来たのだけれど、たまたま訪れたそこの宿の雰囲気がなんとも売春宿らしく、部屋のライトも無駄にピンクだしね。

なによりもそこの宿のおばちゃんの服装が鮮烈なピンクにものすごいフリフリで色んな意味で衝撃をうけました。
まるでドリフのコントじゃないか~!!!!
あくまでも雰囲気だけです。

最終回

2008年10月22日(ケアンズ近郊にて)

いやいやひさしぶりの日記である
今年の4月の10日にマレーシアのクアラルンプールから、ゴールドコーストに飛行機で入国し、雨と風と経済状況に負け、自転車を売却。そこでチャリンコの旅に終止符をうつ。

まぁオーストラリアまで来るのが目的だったので別に良いのだ。

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